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「作品」

亡くなった母の荷物を整理していた。

亡くなって7年経つが、未だ整理が

つかない。

 

小指よりも短い鉛筆すら「捨てられない人」

だったので、とにかくその整理に時間がかかる。

 

生前、母の職業はアナウンサーで、ディレクターや

脚本など、その関連の仕事を兼務していたようだ。

その為、文を書き残すことが癖であり、仕事

でもあった。

 

長年、「読む」「書く」「話す」ことに

時間を費やし、その為に残した「作文」は

何百枚だろう?

全てに目を通すと、あと何年かかるやら(笑)

 

遺影の笑顔が曇りそうなので「作文」ではなく

「作品」と表現を変える(笑)

 

面倒とは言いながらも、その「作品」を

母に成り代わって、思い出すように読み

ながら楽しんでいる。

 

デパートの包装紙、スーパーの広告紙、

潰した菓子箱。何にでも「作品」を書いていた。

どんな紙も母にとっては「原稿用紙」

だったのである

 

そんな中、ある作品が目に留まった。

熨斗紙に書かれた「作品」で、

普通は裏の白紙部分に書くことが多いが、

敢えて熨斗紙の表に書かれた「作品」が

斬新に見えた。

 

手に取って読んでみると、熨斗紙の説明までは

書いていないものの、会食に行き、お土産を頂き、

お土産に掛けてあった熨斗紙だとすぐに分かった。

 

「作品」の登場人物は

兄、

兄がお世話になった大学の教授、

料亭の女将、

の四人で、教授にお誘い頂いて夕食をご馳走して

頂いたことが書いてあった。

 

冒頭、「その人は現れた」と始まり、

教授に対する感想が書かれていた。

 

日時、食事場所、景色、教授が遅刻した事、

遅刻の言い訳、言い訳をしていた時の表情、

女将とのやりとりなど、私もその教授や

女将の事を存じている為、40年近く前の

話も同席していたかのように「作品」を

楽しめた。

 

しかし、そんな「作品」に集中していたせいか?

その「作品」を読み終えてから、

初めて「原稿用紙」のデザインに気が付いて、

思わず声を出して驚いた。

と同時に「ご縁」を感じた。

 

その「作品」が書かれた「原稿用紙」は

私が和菓子店を開業する際、大変お世話になり、

影響を受けた社長様のお店「BAICAL」の熨斗紙

だったのである。

 

「BAICAL」は京都の老舗洋菓子店で、私が

百貨店勤務時代に無理をお願いして、お取引を

させて頂いたことがきっかけで、退職後も

色々なアドバイスを頂いていた。

 

当時、菓銘のつけ方については、社長様の他ならぬ

厚い思いや「拘り」を直々にご享受頂いた。

 

「京都に〇〇というお寺があって、

楕円型した襖の引手を表現して菓銘にしている」

「祇園の○○という場所の石畳を表現している」

など「外の人を受け入れない」という京都気質など

微塵も感じさせない。温かい言葉と分かりやすい

表現で私に説いてくださった。

 

現在は退任していらっしゃるようで、

随分とご無沙汰をしてしまっている。

 

 

そんな「BAICAL」と母の「原稿用紙」(表現が

失礼だが)で再会出来た。本当にご縁である。

 

菓銘は社長様には程遠いが、ご享受頂いた通り、

モノづくりとその表現には他ならぬ力を注いでいる。

モノから生まれるストーリーを大切にして。

 

先日も新商品が出来たので菓銘に悩んだ。

菓銘を考えるときには、頭の中に必ず社長様が

厚く語って登場して下さる。

 

加えて、「作品」から生まれた「ご縁」によって

兄、教授、女将、母と登場人物が4人も増えた。

私の「作品」の中で。

 

息子の事を考えて、私の「作品」や「原稿用紙」

は出来る限り少なくしたいものである。

昭和に生まれて令和を駆ける

私は昭和46年生まれ。

昭和生まれ、昭和育ち、平成を歩み、令和を駆ける。

 

駆けだした令和早々に、こんな大きな出来事が

起こるとは思いもよらなかった。

しかし、よく耳にする感染拡大防止を「国民一丸」

というフレーズから「昭和」を連想した。

 

私が生まれ、育った「昭和」は

「ぬくもり」溢れる時代だった。

 

生活用品には木製品が多く、木製品といっても

合板や加工されたモノではなく、無垢材である。

住宅はもちろん、まな板、しゃもじ、木桶、

木の「ぬくもり」に包まれて育った。

 

無垢材だけでない。「裸電球」もそうだ。

薄暗いが、「ぽっ」と温かい明かりを灯してくれる。

LEDにも「電球色」はあるが、明らかに違う。

私だけだろうか?そう感じるのは。

 

またデジタルが標準である今の若者には、

「音が悪い」と評価が低い「真空管」。

そっとレコードに針を落とすも「バチッ」と

「生音」が入る。

肌に溶け込むような「優しく」「温かみ」

のある低音がスピーカーから流れた。

 

家族には「臭い」と不評だが、

い草が香る畳も大好きだった。

夏休み、昼寝が好きだった私は、薄着で寝そべり、

畳の目を顔に写しながら、呼吸する畳と共に

寝息を立てた。

 

そんな「モノ」が五感に「ぬくもり」を

伝えてくれたのが「昭和」だった。

 

「ぬくもりあるモノ」は「人」が生み、

育ててくれたもの。

「昭和」は「ぬくもりあるモノ」が溢れる時代.

と同時に「人のぬくもり」が溢れた時代であった。

 

ここで、私が「昭和の象徴」として紹介したい

出来事がある。

 

私が小学2年生の時のことだ。

 

当時私は父の転勤で、神奈川県川崎市に住んでいた。

最寄りは私鉄小田急線の「生田」という駅で、

駅から徒歩10分ほどの住宅街に父、母、祖母、

兄2人の計6人で暮らしていた。

 

当時、母は「親友の会社を手伝う」と言って

西日暮里の食品工場までパートに出ていた。

いつも帰りが遅い母の代わりに、祖母が私達の

面倒をみてくれた。

 

「さみしいな」なんて言葉を口にしたことはないが、

母が恋しくなると「お母さんを迎えにいこうか」

と言って、兄と二人、小田急電車に乗って仕事場に

押し掛けた事もあった。

 

そんな母を迎えに行った帰りの事、

帰りの通勤ラッシュに巻き込まれた。

ラッシュといっても

今とは比べ物にならない混雑である。

 

列車が出発する直前に、

駅員が扉付近にいる乗客を押し込む。

そこに入り込もうとする乗客をまた押し込む。

また入りこむ。押し込む。

ひどい時には駅員が背中で押し込む。

「もう入らない」というところまで。

今では考えられない。

コンプライアンス?

そんなものは存在すらしない。

 

しかし、田舎から出てきた私達にとっては

その混雑が新鮮だった。

兄と「おしくらまんじゅう」をしながら、

笑いがこぼれた。

 

しかし、笑いもつかの間。

私達は降りる出口扉から反対側の扉まで押し込まれ、

全く身動きが取れなくなった。

しかも、私たちが降りる「生田」駅は

降りる人が少ない。

とても降りられる状態ではなかった。

 

「これは降りられないな・・・」

「どうしよう・・・」

と不安を漏らす兄と私に母は、

「次の次の駅でおりましょう。これは無理だわ。」

「いや降りようよ」

「無理・・・」

そんなやりとりをしているうちに生田に着いた。

 

かすかに扉が開く音が聞こえた。すると、

「ワッショイ、ワッショイ」

と大きなかけ声が聞こえた。

かけ声に合わせて、私達の周りに居た乗客が、

私達三人の背中を押し、列車から出してくれた。

とにかく驚いた。

むしろ「出られた」という喜びが先に勝った。

 

私は息苦しかった車内から解放され、

新鮮な空気を肩で大きく吸い込み、

ようやく気持ちを落ち着かせた。

 

そんな私をよそに母は、動き出す電車の乗客に

向かって手を振っていた。

 

「よかった・・・」と安堵した私の言葉を、

母は「あたたかい」という言葉で遮り、

助けて下った「恩人たち」に感謝した。

 

幼い私ではあったが、今でもその日の出来事は

はっきりと覚えている。

 

見ず知らずの困っている人に、

見ず知らずの人同士で助け合う。

躊躇なく、その場で一つになれる。

それが昭和は「自然」だった。

 

「人」が「人」にぬくもりを注ぐ。

「ぬくもり」に対し、心から感謝する。

感謝とその喜びを、また別の「人」に注ぐ。

そんな「ぬくもり」溢れる時代が「昭和」だ。

 

昭和生まれ、昭和育ち、平成を歩んだ私は

令和にこの「ぬくもり」を伝えていきたい。

 

「おせっかい」と言われながらも。

「師」

私にはかけがえの無い師がいる。

人生の「師」であり、経営の「師」でもある。

「師」無くして甘音屋も存在しない。

今の私も存在していない。

 

「師」と初めて会ったのは28年前の春、

面接の時だった。

 

少し濃いめのベージュのスーツに身をまとい、

明るい笑顔から溢れる今まで感じたことの無い

オーラのようなものを感じた。

 

学生である私の目線に合わせ、知らない「社会」や

「世界」の話を分かりやすくお話し下さった。

お話しは全てが新鮮だった。面接とは思えない、

私にとってとても「有意義」とは失礼にあたる。

そう「貴重な時間」であった。

 

「VIPとはああゆう人のことを言うんやな!」と

ボキャブラリーの少ない私なりの表現と感動を

私の帰りを待っていた母に熱く語ったことを今でも

思い出す。

 

「師」との思い出は話が尽きない。

仕事に対する疑問や悩みを抱えると、疑問を「解き」

悩みに対して「説いて」下さった。

不安を抱えると「助ける」のではなく「導いて」下さり、

枠にとらわれない私を「自由」に放して下さり、

時にそんな僕に対する反発からも「匿って」下さった。

思い出すと涙がとまらない。

 

そんな「師」が先日、急にご来店下さった。

持病を抱えながらも。

当日は顔色もよく、とてもお元気そうで安心した。

 

私はお会いして、コロナウイルスの影響など近況を

手短に伝えた。

残念ながら、あまり明るい報告は出来なかった。

 

すると「だから来たんだ」

と明るい笑顔と元気なお声で私の話を遮って

下さった。

最初は意味が解らなかった。

 

しかし、コロナウイルスの影響で滅入っている私を

励まそうと持病を押して会いに来て下さったのだ。

とすぐに気が付いた。

 

しかも自転車でお越し下さったという。

「健康のために」とあえて優先をつけて、

気を遣う私に逆にお気遣い下さる。

ご自宅から片道一時間、

どう考えても往復二時間はかかる。

「嬉しい」という表現では軽い、「感極」った。

 

いつもそうだ。

多くを語らず、遠くから温かく見守って下さる。

本当にかけがえの無い「存在」で「師」である。

 

「じゃあまた」

といつもと変わらず、多くを語らず自転車に乗り、

お帰りになる「師」の背中は、汗でびっしょりと

濡れていた。見えなくなるまで何度も何度も、

その背中に御礼を申し上げてお見送りした。

 

決して人前では涙を見せない「師の背中」を見てきた

私はぐっと涙をこらえたが、我慢出来ずスタッフに

「買い物がある」と出掛けたふりをして車の中で

大声で泣いた。

 

甘音屋にとって私は社長であり代表者である。

しかし「師」の前では、いつまでたっても未熟な

「泣き虫経営者」である。

 

こんな「泣き虫」を叱って頂きたい。

いつまでもお元気で頂きたい。そう心から願っている。

また「師」の背中に少しでも近づけるよう精進したい。

 

コロナウイルス自体は憎き敵である。

 

しかし、こんな時だからこそ一層深まる

「心の絆」に気が付く。

悪い事ばかりではない。

 

そう思って涙を拭いその日わざわざ届けて下さった

「師」から頂いた「笑顔」で社に戻った。

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言延長について

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、緊急事態宣言が延長となりました。

本店は営業(10:00~17:00)致しておりますが

姫路駅北店、大津長松店はお客様に安心してお買い物を頂けますよう

5月31日まで営業自粛を延長致します。

ご利用を頂いておりますお客様には大変ご不便をおかけいたしますが

何卒ご理解とご協力を伏してお願い申し上げます。

新型コロナウイルスの備え

コロナウイルスに悩まされて2か月が過ぎた。

 

「まさか自分たちに」「まさか姫路に」

そんな軽い気持ちをよそに目の前に迫る「脅威」と

そのスピードに恐怖を感じた。

お客様、従業員、売上、資金繰り、この2か月は

その「脅威」に対する「備え」に追われた。

 

しかし、まだ「脅威」への恐怖は消えない。

手洗い、消毒、マスク、体調管理は、

当然今まで以上に。体温測定、室内換気、

ソーシャルディスタンスなど今までにはない。

あっても「ここまで?」という事も多々ある。

 

「備え」という事が、いかに大切か?思い知らせた

2か月であった。

 

しかし悪いことだけでもない。

時間の過ごし方も変わった。

 

仕事が終わると自宅に直行。

「脅威」との「やりとり」に疲れた私に「お帰り」

と長男が出迎えてくれる。何よりの癒しである。

 

ここのところ陽が沈む前に帰宅するため、

明るい間に長男と野球を楽しむことも。

有意義な時間だ。

 

空振りに笑いがこぼれ、

ヒットに驚き、アウトにつくため息。

その間に互いに今日の「一日」を報告しあう。

 

「売上どうなん?」「まあまあかな~」

「今日は昼間は走ったんか?」「うんちょっとだけ」

「どこ走るんや?」「近所~」

 

普段と大して変わらない会話だが、

どこか明るく聞こえる。

忙しさに感けて、そんな「かすかな変化」

を拾えていなかった自分に気付く。

とても大切な時間である。

 

そんな長男にボールを投げていると、ふと思い出す。

 

毎日、毎日、ブロック塀を背に、

陽が沈んでも続けていた兄とのキャッチボールを。

外枠がうっすらとぼけていて、カラー?白黒?

あいまいな色合いで記憶が再生される。

そう。「走馬灯のように」という言葉がしっくりくる。

 

真っ暗になってもキャッチボールは続いた。

「ストライク!」

「ちがう!今のはボールや!」

「いやストライク!」

息子とのやり取りとは違いけんか腰である。

時間を忘れて兄と競いあった。

 

なかなか帰ってこない兄と私を、やや強めの語気で

呼びに来る母。

 

「もうご飯よ、いい加減にしなさい!」その一言で

電源がオフになる。

同時に夕食という新たな「競い」が生まれる。

毎日のことだった。

 

そんな私たちを制止するように

「靴の土は玄関外で落としなさい!」

「ちゃんと靴をそろえて入りなさい!」

「手を洗いなさい!」

「ちゃんと石鹸をつけて!」

と強めの語気は続く。

 

席につき、ようやく辿り着いたご馳走を前に

「いただきます」と間をとられる。

今度こそは・・・と手を伸ばすと「直箸はだめよ!」

とまたストップがかかる。

 

「取箸でお皿にとって!」

「食べながらしゃべらない!」

と叱られてばかりの食卓であった。

そんな「昭和の食卓」も今は懐かしい。

 

新型コロナウイルスは海外と比べ感染者が少なく、

まだ亡くなられた方が少ないと言われている日本

だが、諸説様々な意見がある。

 

しかし「几帳面すぎる」と言われる日本人は

「脅威」に対する「備え」があるのかもしれない。

 

くれぐれもこんな時期に、危機感に対する

「過信」ととらえないで欲しい。

しかし、日本人はそういった幼い頃から受けた教育が

少なからず「予防」として

役に立っていることも肯定もできないが、

否定もできない。

 

人と人との間(会話だけでなく、距離も)の取り方、

大声を出さないつつましさ、

日本人らしい正しい食事のとり方などなど。

 

普段から行っている習慣が、海外から見れば

滑稽かもしれないが間違いなく

「予防」に繋がっていると私は思う。

 

昨今、中国で「直箸」を控える動きがあるという。

箸は遠い昔、中国から伝わったと言われているが、

「取箸」という文化が、中国で生まれようとしている。

とても興味深い話である。

 

話が随分と反れたが、今日も長男との

キャッチボールを楽しみにしている。

 

そして食事の時には「直箸」のことを話そうと思う。

 

いつの日か息子も思い出してくれるだろうか。

「令和の食卓」を「走馬灯」のように。

「恵み」(9)

私が多くの皆様方から頂きました

「恵み」をご紹介させて頂いております。

 

「昨夜亡くなった父の霊前に

お菓子を供えたいのです」

 

開店早々にご来店されたお客様に対し、

大きな元気な声と、この上ない笑顔で

お出迎えした私に対してかけて下さった「恵み」

 

明るく、元気よく挨拶することが良いわけではない。

お客様の立場に立つことお客様を観察し、その日、

その時のご様子を伺いながら話すべきである。

そう教えて頂きました。

 

相手の立場に立って。つまりお客様の立場に立って

物事の行動を起こすこと。これがサービスである。

 

 

「恵み」(8)

私が多くの皆様方から頂きました

「恵み」をご紹介させて頂いております。

 

「その出来事を基準に他のお客様のことを

疑ってはならない。

善良なるお客様が基準でなくてはならない

 

クレームを装って商品を騙し盗られ、

愚痴をこぼした時にかけて下さった「恵み」

 

大切なお客様を失うならば、騙された方が良い

と思うことができました。

善良なるお客様との信用、信頼を何よりも

大切にしていきたいと思います。

 

「恵み」(7)

私が多くの皆様方から頂きました

「恵み」をご紹介させて頂いております。

 

権利を主張する者は義務を果たしてから

主張しなくてはいけない。義務を果たさない者に

主張する権利を与える必要はない。

毅然と接しなさい

 

前職の従業員教育に悩んでいる私に

かけて下さった「恵み」

 

例えばですが、服装身だしなみのルールから

逸脱した従業員にルールの改正を主張される

事はない。ということです。

当社の従業員教育にも引用させて頂いています。

 

とても分かりやすく説得力のある言葉でした。

「恵み」(6)

私が多くの皆様方から頂きました

「恵み」をご紹介させて頂いております。

 

お母様が望んでいるのは御見舞ではなく、

あなたの社会人としての成長では

ないでしょうか?

 

認知症で入院した母を頻繁に見舞う私を見て

かけて下さった「恵み」

 

母が話せたなら、

私を見舞う暇があったら

一人でも多く接客をなさい。

お菓子を一つでも多く作りなさい。

 

そう言ったに違いない。

人様からどう思われても構わない。

仕事に没頭しよう。

自分の成長が何よりの親孝行である

そう思って歯を食いしばって我慢しました。

 

率直に母親としての立場から下さいました「恵み」に

心から感謝しています

 

 

母は今でも天国で見てくれていることだと思います。

サボれないな(笑)

 

 

 

 

 

「恵み」(5)

私が多くの皆様方から頂きました

「恵み」をご紹介させて頂いております。

 

人の目や体裁ばかり気にしている私にかけてくれた

亡き母の「恵み」

 

あなたは冬になると、いつも私のギンガムチェックの

マフラーをしていた女性用であるか?は別にして、

自分に合って気に入ったものを人の目を気にせず

身に着けていた。本来の貴方はそういう人ですよ

 

その「恵み」によって本来の自分を見つめ直し、

ふと自分のペースを取り戻せました。

 

「おいしければ、それが和でも洋でも構わない」

拘りがないところもそういう事かもしれません。

 

いつか菓子業界に和菓子、洋菓子という垣根が

なくなる。そんな日がこないかな?