「恵み」(2)
2020.4.26
私が多くの皆様方から頂きました
「恵み」をご紹介させて頂いております。
あるシェフへ退職のご挨拶に伺った時に
かけて頂いた「恵み」
僕たちは本物のフランス菓子を追求している。
と同時に日本人としての自分を殺すことに
苦労している。とても大変な作業である。
しかし和菓子を作ることは私達の生活や文化、
慣習を形として表現すればよい
とても楽しいお仕事になりそうだ。天職だね」
自分の選んだ道が合っているか?どうか?
不安で仕方がなかった私ですが
その一言ですべて吹っ切れ、その道に進むことが
出来ました。
独立に向けて、私の背中を押してくださった大切な「恵み」です
「恵み」(1)
2020.4.25
私は本当に恵まれている。
開業して11年間、多くの皆様にお支え頂きました。
間違えた方向に行けば「導き」を頂き、悩んでいると
「手を差し伸べ」て、驕った時は「お叱り」下さり、
努力した時には「お褒め」頂ける。
こんな「恵み」を頂ける。
本当にありがたいことだと心から感謝しています。
これからそんな「恵み」を
この店主のブログで紹介していきたいと思います。
今回の恵み(1)はこの一言なくして
甘音屋は開業できなかった。その一言です。
甘いね。
僕のサロンでもいったい何人のお客様が来て、
どれだけの売上が上がると思っているんだ?
ちゃんと和菓子屋で修行しなさい。
ギフトとして、お贈りものとしてご利用頂ける
和菓子を勉強しなさい
「脱サラをして和カフェをやりたいので退職をする」
と御挨拶に伺った時に、私が職人の「師」と仰ぐ
パティシエさんから頂いた「恵み」。
この一言が無ければ和菓子店での修行も無かったし、
和菓子屋を開業することもなかったと思います。
誰よりも的確で、誰よりもわかりやすく
この道に導いてくださった恵みです。
心から感謝しております。
ベトナム 首都ハノイに
2017.5.1
当社に和菓子職人は3名いる。
「『ゆっくり、丁寧、かつ正確』ではなく、
『早く、丁寧かつ正確』に仕事をこなす。
これが職人である」
職人への指導の際に出る私の口癖である。
とにかく職人とはその道を極めるべく
「他人の追随を許さない集団」
だと常々指導している。
今では指導の甲斐あってか、
私が不在でも黙々と和菓子作りに勤しんでくれる
頼もしい「集団」である。
そんな彼らに仕事を任せて、
先日ベトナムへ行ってきた。もちろん仕事。
新店のオープンに向けて備品を調達する為。
飛行機に揺られること5時間、
首都ハノイの空港に到着した。
いまだ朝晩が肌寒い日本とは違い、
とにかく蒸し暑い。厚手の洋服が現地人ではなく
観光客の証であるかの様に、
出国手続きは意外にスムーズだった。
続いて事前に預けた荷物を受け取るため
ターンテーブルへ。
「これもちがう」「あれもちがう」
とよく似た荷物を目で追いながら
自身の荷物を待つこと三十分、
ようやく出て来たと思えば他人のバッグ。
機内から私の手元まで、荷物の流れは
どうなっているのだろう?
荷物運搬の担当者は談笑でもしているのか?
それともまだシステムが整備されていないのか?
とイライラしていると、ようやく荷物が姿を現した。
待ち時間は四十五分をゆうに超えていた。
普段、荷物を預けることのない私にとっては、
長く感じたものの「まあこんなもんか」
と気持ちを切り替えて、
出口で待つ現地案内人へと足を走らせた。
その後、空港を出て車に荷物を積み込み、
市街地へ。
高速道路から見える景色は新鮮で、
どこか懐かしさを感じた。
雑然とした街の「雰囲気」が、高度成長期後半に
生まれた私のかすかに残っている記憶と重なった。
「雰囲気」と表現したが「かおり」という表現の方が
しっくりくるかもしれない。
交通は韓国や香港の様に地下鉄も無く、
電車も貨物が中心。移動の多くは車だが、
短距離の移動は全てオートバイ。
通学、通勤、荷物の配達、買い物、
子供の送り迎えは、子供を二人乗せて
三人乗りで走る者もいる。
ヘルメットも着けずに指示機を出さない人が多く、
交通ルールなどあったものではない。
信号待ちでは車と車の間に割り込んでくる。
その数は計り知れず。表現するならば満員電車に
人が押し寄せ、どんどん身動きが取れなくなる。
そんな光景はさすがに日本で経験がない。
また舗装されていない道路で
物資を運ぶトラックが、大きな音を立てて
弾みながら走る。ルールが無い中、自身の存在を
知らせる為、「小刻み」に、時に「強く」
クラクションを鳴らすオートバイ。
道路脇ではそんな騒音に負けまいと、大きな声を
張り上げて物売りをする人々。
発展途上の国が奏でる「人・モノ・金」の
三重奏であり、力強い国力を感じる。
しかしそんな国の「勢い」の話だけではない。
間違いなくベトナム製品の品質は上がっている。
二十年ほど前にベトナム製の漆器を購入したが、
塗りムラ、はがれが酷く、安価だけに文句さえ
言えないかったが、日本の漆器とは比べ物に
ならないモノだった。
しかし、今回手にした漆器は安価でありながら、
それなりの品質に仕上がっている。
またデザインも日本や欧米諸国に引けをとらない、
なかなかのものである。
さて我々が生きて来た「小売り」のことに
少し触れたいが、ベトナムの商売はかなり強引である。
強引というよりは「買って欲しい」という強い意思が
伝わって来る。「よく」も「悪く」も。
土産品を買いに行っても、何を言っているか
分からない、一生懸命に商品説明をしようとしている
ことは理解できる。
ただ客に気持よく買い物をしてもらうことや、
日本人が大切にする「間」(ま)の様なものがない。
これはベトナムと日本の文化、慣習の違いかも
しれないが、同じ商いをする上で「気持ちよく
買い物をしてもらう間」は「世界共通」で
あってほしい。
というよりは「相手の立場に立って行動をする
サービス精神」を持ってほしい。
ところがそんな中、帰路の空港で「同志」に
出会った。
沢山の買い物袋をぶら下げた私を見て、何も言わず
小さく微笑み、大きな袋を差し出してくれた
販売員がいた。「同志」である。
「相手の立場に立とう」その意思が強く伝わった。
「同志」に会えたその喜びついでに、「同志」の店で
買い物をしたが「同志」はやはり裏切らなかった。
ハノイではどこで買い物をしても、買い物袋は一枚だけ。
いくら沢山買い物をしても一枚である。
経済的な事情が見え隠れするが、どこも催促すれば
付けてはくれる。だが、あまりいい顔はしない。
しかし「同志」は何も言わなくとも、
購入した数の袋を入れてくれた。
言葉は通じなくともサービス精神は伝わる。
これが私の求めている「世界共通意識」である。
ベトナム滞在最終日にして「同志」に
会えてよかった。今度訪れたときは「同志」が
どのくらい増えているか楽しみである。
かつて「発展途上国」であった中国は
日本を抜いて世界第二位の経済大国となっている。
また、日本の後ろにはインドが迫っている。
それに比べ、技術の進歩、海外企業の進出、
経済成長、まだまだ発展途上とはいえ、この国の力は
未知数で脅威である。
帰路はそんな事を考えながら、いつの間にか機内で
眠ってしまっていた。
目がさめた時はすでに飛行機は着陸していて
無事日本に帰ってきた。もちろん迎えは必要ない。
慣れたホームグランドゆえ気楽である。
預けた荷物を待つこと十五分、ターンテーブルから
出て来た。
荷物一つだけの事だが「速く、丁寧、正確」に
出て来た。日本人の職人魂は、まだまだ健在である。
ベトナムはこの三十分の時間の差を何年かかって
縮めてくるのだろう?
街の開発が進む事は歓迎したいが、贅沢を言うならば、
私の記憶にある心地良い、懐かしい「かおり」は残して
ほしい。
将来に向けて
2015.12.24
先日から株価を見ていると19000円代をウロウロ。
ようやく20,000円代なのかな?
とホッするも束の間。日本の35年後の
人口構造を見るとぞっとする。
総人口は1億を割り込み65歳以上の人口が3割を
超える。
いわゆる2050年問題である。
そんな中、自宅から駅に向かうと道中には「空き家」
「テナント募集」の看板が目立つ。住む人、働く人が
減っている証拠である。
また私を含めた団塊のJr.の多くはローンを組んで
マイホームを建てている。父母が住んでいる家に
戻って同居している家族は極めて少ない。
その父母の生活は自宅ではなく施設へと移り、
亡くなったり、住まなくなった家やマンションは
空き家のまま。若しくは駐車場に。
いわゆる空洞化である。
商店もそう。
不景気で「潰れていっている」のではなく
人口減と共に「減っている」という見方を
しなくてはいけない。
私たちの社会は部分的に見るとゆっくりだが、
ものすごいスピードで「人口減」と
「超高齢社会」へとシフトしている。
高齢者が増え、そこに携わる人口が増える。
人手不足もそうだが、消費はさらに鈍化するだろう。
人口が減ると地価は下がる。海外からの投資も宛に
ならない。
株価は一つの指標であって自分たちの生活に
直結しているわけではない。株価が1万円を
割っている時と比べ、景気回復の実感がない。
そう思うのは私だけだろうか?
数字上の景況はあてにならない。
自分自身で自分自身の生活を見極め、その変化と
将来性を考えないといけない。そう思う。
大きな変化の中で、今の自分、これからの自分。
その時に甘音屋はどうなっているだろう?
そう思うと居てもたって居られない。
お客様のご要望にお応えすべく、ご要望に対し
目標を立ててその目標に向かって生きて行かなくて
はならない。そう思う。
「人口減」と「超高齢社会」という
厳しい将来に向けて。
23日と24日の2日間
2015.12.24
偏った考え方ではないのでは誤解が無いようにしたい。
が、どうしても疑問に思う。
昨日は12月23日、今日は24日。23日は祝日。
24日は平日。昨日は祝日の為クリスマスパーティーを
楽しんだ家族が非常に多かったのではないだろうか?
しかし昨日は天皇誕生日。天皇の誕生を祝う日である。
国民の祝日として設けた趣旨は「天皇誕生日」
というのに、キリストの誕生を祝う日でもないのに
街角ではクリスマスケーキが飛ぶように売れ、家では
「きよしこの夜」を歌いクリスマスを楽しむ。
事実、当社でもクリスマス用に作ったケーキが
売れるのは23日。複雑である。
本来の趣旨は何なのか?
祝日の意味は何なのであるのか?
伝えきれていない。
政府や政治のせいにするつもりはないが、いうならば
教育だろうか。
何のために休み何を思う日なのか?
昨日、今日と私自身も考えさせられた2日間であった。
香港へ
2015.7.28
先日、仕事で香港に行ってきた。
親友が香港で会社を立ち上げ、
フードコンサルタントを始めたので
当社の仕事を香港で繋げてくれるとのこと。
あまり日程に余裕がなかった為、
1泊3日(機内1泊)という強硬な日程を
組んだ。
海外へ行くのは妻との新婚旅行以来、
12年ぶり。
久しぶりの海外渡航の為、
少し不安を抱えての出張となった。
それにしても海外へ行く準備は随分変わった。
例えば航空チケット。予約はすべて携帯電話から。
出発の3か月前から予約すると香港まで
諸経費込みで2万7千円。格安である。
チケットは事前発行の必要がなく
直接空港へ向かえばよいとのこと。
便利と言えば便利だが不安でもあった。
お次はアクセス。空港までのアクセスは車を選んだ。
空港まで車で行ったことがない私だが、カーナビが
ピンポイントで駐車場まで案内してくれる。
途中で渋滞ならば、その状況をタイムリーに
知らせてくれる。親切なものだ。
また1時間半はかかる道中の高速道路料金は
一度も払うことはない。
料金所でいちいち車を止めることなくスムーズに
精算を済ませてくれる画期的なシステム
ETCである。
その後、親切な「案内係」(カーナビ)に
誘導されて無事空港に到着。空港の入り口入った
ところにチケットの発券機がある。
チケットはバーコードをかざすだけで発券される。
もちろん無人。ちょっとした事だがコストカットが
価格に反映されているように思う。
ユーザーとしてはこの上ない喜びである。
チケットを持って出国手続きを済ませた後は、
出発の直前まで携帯電話で仕事の打ち合わせ。
会社内の様子は携帯電話の画面からチェックできる。
また多忙のために現地の情報収集が
出来ていなかったが、それも直前に携帯電話で
情報を収集。パケット料とやらは定額の為、
使い放題である。
さて、いよいよ出発である。
飛行機に乗り込んで、いざ香港に。
意外にも飛行機の中に大きな変化を感じない。
人類の地上での技術進歩は目覚ましいが、
上空は過疎である。
さておき。香港に着くと携帯電話が自動的に現地の
電話に切り替わる。何とも便利なものである。
また空港から目的地までのアクセスに困っていると
友人から「LINE」で情報が飛んでくる。
ジョークを交えたスタンプの「おまけつき」。
もちろん無料である。
その携帯電話を見ながらニヤニヤしている私は、
いったい香港の人にどう映っているのだろう?
程なくして友人と再会し昼食をとる。
食事の様子を写そうと首からぶら下げていた
カメラ姿も今は昔。当時は使い捨てのカメラも
大流行したが、今はデジタルが主流。
私も滞在中の記念撮影はすべて携帯電話で撮影だ。
また、写した画像はリアルタイムでSNSに投稿。
友達への共感を呼びかける。
友達からの共感に喜びと楽しみを感じる。
個性の表現方法も随分変わった。
少し前までは個性の表現というものは、
ごく僅かで限られていた。
貨物列車の車両を改造して作られた
カラオケボックスもその一つではないだろうか?
自分の歌唱力を皆の前で披露したいという「個」
の表現の一つだったように思う。
少し話が逸れたが、海外渡航一つとっても、
20年前にこれだけの大きな変化を誰が予測できた
だろう?
きっと向こう20年先には、また更なる進化が
あるに違いない。
帰国し、車を自宅のガレージに入れた際
「目的地に到着しました」とカーナビのアナウンスが
聞こえた。
「えらい時代になったもんだ」と同時に
「自分で運転しなくてよい時代もそう遠くない」
そう思って家路についた。
当社のライバル
2013.11.24
皆様、こんにちは。姫路 和菓子 甘音屋です。
最近東京方面の百貨店に出店する際、
車で移動することが多いのですが、新しく改装
したサービスエリアを覗くと人、人、人。
平日にもかかわらず多くの人で賑わっています。
あれだけ多くの方がサービスエリアで物を購入し、
特にお土産としてお菓子を購入される。えらいことだ。
と思います。私がここのところ感じていることは
ライバルは同業他社と思われがちですが、そうでは
ありません。お客様が消費する時間ではないか?
と思います。
昨今の消費動向がここまで激変することをだれが
予想したでしょうか?携帯電話でメールを
送っている時間、携帯で音楽を聞いている時間、
PCを触って買い物をしている時間、コンビ二で
買い物する時間、働く時間、旅行する時間、
SAで買い物する時間。
などなど時間の消費との勝負です。
そこにいかに「和菓子」を楽しみたいと
思って頂けるか?「和菓子」と考えたときに
初めて当社を選択していただけるか否か?
というところに行き着きます。
私は出来れば「和菓子」という選択の前の段階で
「甘音屋」に行きたい。
そう思って頂ける存在になりたいと思っています。
そうすれば同業他社との競争は避けられます。
私は和菓子という前に当社の存在をもっと身近に
感じていただきたい。そう思っています。
今まで取り組んできたこともそうですが、
時間を割いて「甘音屋」に行きたいな。
そう思って頂ける存在にならなくてはいけないと
思っています。
来年初からその取り組みについて一歩前に進めるよ
う準備を整えて参りたいと思います。
今後とも甘音屋をご愛顧賜りますよう伏して
お願い申し上げます。
あんぱん「二兵衛」について
2013.10.9
豊臣秀吉に仕えた「竹中半兵衛」と「黒田官兵衛」を「二兵衛」
(にへえ)と言います。
播磨攻略において大活躍した二人は、「よきライバル」
として知られている他に、多くの逸話として語り継がれているように、
固い「絆」で結ばれた特別な関係であったと言われています。
2014年NHK大河ドラマが「軍師官兵衛」に決定した事を
きっかけに「二兵衛」ゆかりの地、岐阜県垂井町と兵庫県姫路市に
本社を構える、ベーカリー「グルマン・ヴィタル」と和菓子処「甘音屋」
両社が力を合わせ、「二兵衛」という商品名で「あんぱん」を共同開発し、
発売の準備が整いました。
「甘音屋」は和菓子の命とも言える餡を作り、「グルマンヴィタル」は
長年培った技術を存分に奮って生地を作りあげました。両社の強みを活かし、
あんぱん「二兵衛」を作り上げることが
できたことは、大変意義のあることだと考えています。当時の二人のように、
互いを認め合い、尊重し、力を合わせ、心を込めて作り上げた
あんぱん「二兵衛」をお楽しみ頂けましたら幸いです。
先日感じたこと
2013.5.24
皆様こんにちは。
姫路 和菓子 甘音屋の店主でございます。
店主のブログ随分とお休みしており、大変失礼を
致しました。
忙しさに感けている自分を大変恥ずかしく思います。
実は先日、子供の授業参観に行って参りました。
そこである事に気が付きました。
それは男女の違いについてです。
少し早く着いた私は、休み時間から教室に入って待って
いました。
クラスの中には女子達がたくさん居て殆どの女子が
笛の練習をしていました。おそらく近くある授業に
向けての練習なのでしょう。
一人で吹いている子やグループで吹いている子。
様々でした。
それに対し、休み時間が終わると
汗びっしょりになって帰ってくる男子。
夢中になって遊んできたのでしょう。
ワイワイガヤガヤと大盛り上がり。
そう考えると(全てではありませんが)、
女性というのは今(現在)から遠くない現実と
向き合い、計画を立てて歩む。
男性というのは現実と向き合う事よりも
やりたいことに向かって走る。そんな男女の違いを
感じました。
私もやはり現実を直視するというよりは、
むしろやりたいことをやらせて頂いています。
そして多くの女性に支えられていると思います。。
家庭もそうですし会社もそうです。現実的なツメを
してくれるのはいつも女性。ありがたい限りです。
小学生を見て感じた事。当社や我が家で感じていること。
本当に小さな出来事ですが、社会の縮図であるとつくづく
感じました。
本当に女性の力は偉大だと思います。
和菓子店を開くまで(3)
2010.9.4
さて和菓子の世界へ1歩踏み出したまでは良かったのですが、修業先も決まらないまま会社を退職した私は「宛てもないのに良くまあやるよ」と自分で自分にあきれていました。 しかし「心中に希望を持っていれば必ず物事は好転していく」という亡くなった祖父の家訓を信じ、1歩1歩和菓子の道を踏みしめ、歩き始めました。
修業先を探す事になった私は、とにかく自分が好きになれる和菓子を探そうと京都、大阪、神戸の和菓子店を片っ端から廻りました。もともと百貨店の仕事も「足でかせぐ」というスタイルだったので食べては歩き、食べては歩き、毎日就職活動に勤しみ数え切れないほどの店を廻りました。そして探し廻ること2ヶ月、ようやく「ここや!」という店が見つかりました。それは大阪箕面にあります「菓室創庵」という店です。その店は現在、大阪を中心に活躍しています「かむろ」という店です。私が入った頃はまだ「菓室創庵」という名前でしたが、イチゴ大福やどら焼きのクオリティの高さに驚き、この店で修行したい。そう思い菓室創庵の門を叩いたのでした。
当時、菓室創庵は百貨店進出を考えておられ、事業を大きく拡大して行きたいという時期だったようで人出が足りないという事もあり、人材の確保を検討していたようです。私は自分の持っている百貨店での経験をお店で活かしてもらい、私自身はは職人として和菓子を学ばせてほしい。そう願い出て、和菓子に対する熱意と今後の将来性を社長にお話をし、弟子入りを志願したのです。社長はとても懐の大きな方で私の熱意を汲み取って下さり、採用して下さったのです。
採用が決まり、初出勤の日は2月10日でした。朝5時半に起きて、家を出るのが6時半。家から店まで2時間半。家を6時半に出ても着くのは9時です。初日は新しい機械の導入であまり内容は覚えていませんが翌日からのスケジュールはハードなものでした。「悪いが今晩泊まってくれへんか?」と言われ徹夜で作業する事も多く、時に42連勤という事もありましたが「少しでも自分を必要としてくれている」そう思うと嬉しくて疲労感よりも感謝の気持ちが強く、和菓子に触れる喜びそして心地よさを感じ、充実した毎日を送っていました。(つづく)