姫路蒲田村創業 おつかい菓子 甘音屋おつかい菓子 甘音屋

店主のブログ

今後の和菓子について

少し堅くて、ネガティブな話になりますが、最近、「今後の和菓子ってどうなるだろう?」と考えています。

いえ和菓子だけでなく菓子という大きなくくりでしょうか。私自身、業界はこれから縮小傾向にあると

 思っています。これはネガティブと言われても仕方がありませんが現実だと思います。

団塊の世代が消費から卒業している昨今、食べる口が減ってきている現実からは逃げられません。

また我々の和菓子で言いますと、欧米化した食文化による和菓子離れ。これは和菓子離れと

いうよりも洋菓子の台頭といった方が良いかもしれませんね。

又、コンビニの和菓子を見て下さい。クオリティと値段のバランスが消費者から支持を得ている。

逆に1つ500円近いどらやきが連日売り切れになっている。えらい時代だなあと思いますし

企業というのは様々な工夫をして成長しているのだなあ、とつくづく感心します。

よく「この局面を乗り越えたら」とか「この不景気を脱したら」とかっていう言葉を聞きますが

この言葉を聞き始めて10年以上が経ちます。正直何も変わりません。この厳しい

局面でも様々な工夫をし、乗り越え、成長し続けている企業とそうでない企業というのは大きな差が

開いています。

時代はまさに「第2の淘汰の時代」が始まっていると思います。この10年間は業界内外問わず

「第一の淘汰の時代」であったと思っていますが、向こう10年間は「第二の淘汰の時代」が

始まっていると考えています。そんな中、当社は来年から新たなスタートを切りたいと思っています。

今まで何がなんだか分からないまま、いち企業として走って参りましたが、これから「第二の淘汰の時代」

に突入すべく甘音屋はどうあるべきか?を口だけでなく実行に移していきたいと思っています。

どうかこれからの甘音屋を温かく見守ってやってください。

和菓子店を開くまで(4)

さて修業に入った後、2年半は本当に色々なことがありました。そうですね、「かむろ」本店のリニューアル、

リニューアルに伴う会社の設立、そして百貨店への常設出店、などなど和菓子店の企業としての成長過程

を一から見せて頂く事ができました。私を含めて従業員3人だった「菓室創庵」でしたが気がつけば年間1

億を超える売り上げをあげ、従業員も20人を超える「かむろ」へと成長していっていたのです。その過程で

製造のお仕事をさせて頂いたというのは本当に良い勉強でした。

そうこうしているうちに2年半という月日はあっという間に過ぎてしまい、気がつけば自分の独立という目標が

どんどん近づいてきていま した。何から手をつけていけば良いだろう?そう考えた私は「屋号やコンセプト

が決まらなければ何も決まらない」ということに気がつきました。店への思い、そして菓子の思いを込めた屋

号にしなくていはいけない。 そう考えたのです。そう考えて色々と案が出た中で最終残したのが「甘音屋」と

「卓笑」でした。「卓笑」は食 卓に笑顔がこぼれる菓子を 作りたいというコンセプトだったのですが、最終「甘

音屋」に決めました。読み方 も最初は「かんのんや」に しようかと思っていましたが、「あまねや」という読み

方が良いのでは?とアドバイ スを頂き「あまねや」という名前に致しました。今、この屋号と「あまねや」とい

う響きをこよなく愛しています。

 

 

 そして屋号つまりは社名が決まり、会社設立となったわけですが、会社設立が12月16日、そして工事着

 工が1月8日、店のオープンは3月12日で本当にバタバタの3カ月でした。また本来ならば工事費用は相

当かかる予定でしたが担当をして下さった設計士の先生に助けて頂いたお陰で何とか予算内に納まりまし

た。 店づくりは通常デザイナーを入れて工事が進めていくところですが、予算の関係も あって私のアイデ

アや設計士の先生からのアイデア、アドバイスなどを頂きながら半ば手作りとなった店ですが本当に良い

店に仕上げて下さいました。

それだけでなくショーケース、店内のサインボード、波の模様の漆喰、ギャラリーのテーブル、壁画、甘音

屋のロゴ、椅子など私の知人がここぞとばかりにお力添えを下さいました。本当に様々な方々にご支援頂

きましたお陰で何とか店をつくる事ができました。

さてお店も出来てようやくオープン1週間前となったくらいからでしょうか。私は今までに経験したことのない

「怯え」に襲われました。今まで自分が目標としていた独立を目の前にして、自分だけの事業ではない、

ご支援下さっている皆様、そして家族、新たに入って頂いた従業員など、自分だけの店ではない、とんでも

ないものを背負っているのだと思った瞬間から急に「怯え」が来たのです。また夜、風呂場に入り、気持ちを

リラックスさせようとしても逆に震えが止まらない。このままこのプレッシャーに押しつぶされてしまうのでは

ないか?と思っていた矢先、いち早く私の異変に気付き、駆けつけてくれたのは兄でした。翌日仕事がある

にも関わらず遅くまで作業を手伝ってくれ、たわいもない事を話し、気をほぐしてくれました。また親方や弟

弟子、「かむろ」のメンバー全員も駆けつけて下さりオープンを手伝って下さいました。私自身本当に色々な

方々に支えて頂いている。そう実感致しました。そして何より2年半という修業期間から店のオープンまで、

本当に大変でしたがそれを支えてくれた家族への感謝は何よりもお忘れることができません。 

和菓子店を開くまでそして開いてからも本当に様々な方々に支え られて「甘音屋」は歩き続けることができ

ております。 その感謝を忘れることなく、初心を忘れず、今後も歩き続けて参り たいと思っています。随分

端折って書きましたが姫路和菓子店 「  甘音屋」を開くまでをお話し致しました。(おわり)

和菓子店を開くまで(3)

さて和菓子の世界へ1歩踏み出したまでは良かったのですが、修業先も決まらないまま会社を退職した私は「宛てもないのに良くまあやるよ」と自分で自分にあきれていました。 しかし「心中に希望を持っていれば必ず物事は好転していく」という亡くなった祖父の家訓を信じ、1歩1歩和菓子の道を踏みしめ、歩き始めました。

修業先を探す事になった私は、とにかく自分が好きになれる和菓子を探そうと京都、大阪、神戸の和菓子店を片っ端から廻りました。もともと百貨店の仕事も「足でかせぐ」というスタイルだったので食べては歩き、食べては歩き、毎日就職活動に勤しみ数え切れないほどの店を廻りました。そして探し廻ること2ヶ月、ようやく「ここや!」という店が見つかりました。それは大阪箕面にあります「菓室創庵」という店です。その店は現在、大阪を中心に活躍しています「かむろ」という店です。私が入った頃はまだ「菓室創庵」という名前でしたが、イチゴ大福やどら焼きのクオリティの高さに驚き、この店で修行したい。そう思い菓室創庵の門を叩いたのでした。

当時、菓室創庵は百貨店進出を考えておられ、事業を大きく拡大して行きたいという時期だったようで人出が足りないという事もあり、人材の確保を検討していたようです。私は自分の持っている百貨店での経験をお店で活かしてもらい、私自身はは職人として和菓子を学ばせてほしい。そう願い出て、和菓子に対する熱意と今後の将来性を社長にお話をし、弟子入りを志願したのです。社長はとても懐の大きな方で私の熱意を汲み取って下さり、採用して下さったのです。

採用が決まり、初出勤の日は2月10日でした。朝5時半に起きて、家を出るのが6時半。家から店まで2時間半。家を6時半に出ても着くのは9時です。初日は新しい機械の導入であまり内容は覚えていませんが翌日からのスケジュールはハードなものでした。「悪いが今晩泊まってくれへんか?」と言われ徹夜で作業する事も多く、時に42連勤という事もありましたが「少しでも自分を必要としてくれている」そう思うと嬉しくて疲労感よりも感謝の気持ちが強く、和菓子に触れる喜びそして心地よさを感じ、充実した毎日を送っていました。(つづく)

和菓子店を開くまで(2)

さて和の拘りについては前回お話し致しましたが、そろそろ和菓子への想いをお話し致しましょう。和食から和菓子への転心については話があまりにも長くなってしまいますので控えますが、和菓子に行きついた時のお話を少ししましょう。私が和菓子に目を向けた一番の理由は業界のマーケットが縮小傾向にあるということ、そして他企業からの新規参入が少ないという事です。欧米化した食文化により和菓子離れが進んだ上に、店主や職人の高齢化に伴う後継者問題を抱えている昨今、新規参入する企業も少なく競合が少ないということに魅力を感じました。

 しかし技術を学ばなくてはどうにもならないと考えた私は島根の和菓子技術専門学校に通い、和菓子の基礎知識を学びました。しかし「餡」の焚き方を教えてもらったまでは良かったのですが、実際に自分で焚いてみると、うまく行かないものです。毎日スタッフの出勤前に会社のコンロを使ってこっそり「餡炊き」の練習をしておりましたが、炊いても、炊いてもうまく行かず、時にはスタッフに「何か焦げ臭くありませんか?」なんて言われて落ち込んだ事もありました。

そんな事を繰り替えしているうちに母の病気の進行が思ったより早かったこと、また年齢的な焦りも相まって「今しかチャンスはない」と同時に「2足のわらじはふめない」と考え、悩みに悩んだ末に和菓子の世界に足を踏み入れる事を決心しました。私は百貨店の仕事が本当に好きでしたし、サラリーマンならこの会社で死ぬまで勤めあげようと思っていた程ですから、会社との別れは本当に辛いものがありました。

しかし自分は今までたくさんの「失敗」をしてきました。その失敗とは「うまくいかなかった」という「結果」ではなく、「結果」を恐れて踏み出せなかったことへの「後悔」なのです。肝心なところでいつも逃げて来た自分への悔やみが私の人生における「失敗」であり、もうその失敗は繰り返したくない。そう思い決意を硬く一歩を踏み出したのです。

(つづく)

和菓子店を開くまで(1)

皆様こんばんは姫路和菓子店甘音屋です。ここのところ色々な方々と出会い、私が和菓子店を開業するまでの経緯をお話しする機会が多くなりました。よく考えたらアメーバーのブログでも過去から今までの話しをした事が無いなと思い、思い切ってブログに連載しようと思いました。 経緯をよくご存じの方は少し退屈でしょうがどうかご寛恕ください。

まず簡単に私の自己紹介を・・・・

昭和46年4月、明石市生まれ、明石~東京~京都と父親の転勤の関係で転々とし小学6年生の時に父の実家である姫路に住む。地元中学を卒業、高校は岡山、専門学校は大阪と私自身も転々。就職となった折に地元に戻り、地元デパートに入社。その後13年間百貨店勤務に従事し退社、大阪の菓子店に修業に入り、2年半修業した後、独立。昨年の3月12日に「甘音屋」をオープン。現在に至る。 自己紹介はこれくらいにして本題に入りましょう。

まずは和菓子もそうなのですが、和菓子に行きつくまでの「和」への拘りからお話します。私の実家は曾祖父の代までは素麺業を営んでおりました。残っている資料からするとおおよそ150年前から昭和初期までのようですが祖父も父もサラリーマンで、後継者も無く最終的には廃業となったようです。私は幼い頃から残された家屋や素麺業の名残ある物置で古いモノ(HPのフォトギャラリーにも載っています)に触れて育ってきたせいか、古き良き「和」の心地よさを肌で感じていたのだと思います。独立を意識し始めた時は「和に触れる心地よさを提案」できる業種を事業にしたいと考えておりました。 

さて「和に触れる心地よさを提案」する事業を考えていたところ最初に思いついたのは「和食」でした。当時(27歳くらいでしょうか)は飲食バブルといわれるくらい新しい業態の飲食店が次々と出てきており、中でもグローバルダイニングという企業には大変興味を抱いておりましたし、ちゃんとフードとか紅虎餃子など自分の感性を刺激する店があちこちに出店し、自分も志を持ってその道に進みたいと決心を固めておりました。どこか飲食のノウハウを教えてくれる店はないだろうか?仕事をしながら働かせてくれるところはないだろうか?と考え悩んでおりました。そんな時に百貨店の東京事務所勤務のお話を頂き、上京する事になりました。昼間は百貨店の仕事をこなし、夜は飲食店でアルバイト研修をするという許可を頂いたまでは良かったのですが、「無給で働かせてほしい」という条件に問題があり、どこの店も採用してくれませんでした。半年間で面接を受けた件数は100件は越えていたのではないでしょうか?もう諦めようと思って最後に受けた(本当に最後でした)店で採用が決まったのです。その店はダイニングキッチンのはしりと言われる店で芸能人から著目な方がお忍びでいらっしゃるお店でした。しかしこんなところにお客様がわざわざ来るのか?といつも不思議でしたが、席はいつも満員。魅力のある店なら場所に拘らずお客様は必ず足を運んで下さるという今の私の考え方を作ってくれた店とも言えます。

しかしそんな飲食にも「陰り」を感じていました。それは明らかに食べる口が減ってきたことです。日本の消費構造の根元ともいえる団塊の世代の「消費卒業」が飲食にも現れたのと飲酒運転の罰則違反が一層厳しくなり、飲食業界におけるバブルが崩壊してしまったのです(あくまで持論です)。

私の「和の心地事業計画」も少し遠のいてしまった。そう思いあらたに悩み始めた32歳でした。

(つづく) 

ホームページをリニューアルいたしました。

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甘音屋のホームページをリニューアルいたしました。

今後、こちらのホームページから、
お菓子をご購入いただけるようになりますので、
こちらも楽しみにお待ちください。

今後ともよろしくお願いいたします。