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「師」

私にはかけがえの無い師がいる。

人生の「師」であり、経営の「師」でもある。

「師」無くして甘音屋も存在しない。

今の私も存在していない。

 

「師」と初めて会ったのは28年前の春、

面接の時だった。

 

少し濃いめのベージュのスーツに身をまとい、

明るい笑顔から溢れる今まで感じたことの無い

オーラのようなものを感じた。

 

学生である私の目線に合わせ、知らない「社会」や

「世界」の話を分かりやすくお話し下さった。

お話しは全てが新鮮だった。面接とは思えない、

私にとってとても「有意義」とは失礼にあたる。

そう「貴重な時間」であった。

 

「VIPとはああゆう人のことを言うんやな!」と

ボキャブラリーの少ない私なりの表現と感動を

私の帰りを待っていた母に熱く語ったことを今でも

思い出す。

 

「師」との思い出は話が尽きない。

仕事に対する疑問や悩みを抱えると、疑問を「解き」

悩みに対して「説いて」下さった。

不安を抱えると「助ける」のではなく「導いて」下さり、

枠にとらわれない私を「自由」に放して下さり、

時にそんな僕に対する反発からも「匿って」下さった。

思い出すと涙がとまらない。

 

そんな「師」が先日、急にご来店下さった。

持病を抱えながらも。

当日は顔色もよく、とてもお元気そうで安心した。

 

私はお会いして、コロナウイルスの影響など近況を

手短に伝えた。

残念ながら、あまり明るい報告は出来なかった。

 

すると「だから来たんだ」

と明るい笑顔と元気なお声で私の話を遮って

下さった。

最初は意味が解らなかった。

 

しかし、コロナウイルスの影響で滅入っている私を

励まそうと持病を押して会いに来て下さったのだ。

とすぐに気が付いた。

 

しかも自転車でお越し下さったという。

「健康のために」とあえて優先をつけて、

気を遣う私に逆にお気遣い下さる。

ご自宅から片道一時間、

どう考えても往復二時間はかかる。

「嬉しい」という表現では軽い、「感極」った。

 

いつもそうだ。

多くを語らず、遠くから温かく見守って下さる。

本当にかけがえの無い「存在」で「師」である。

 

「じゃあまた」

といつもと変わらず、多くを語らず自転車に乗り、

お帰りになる「師」の背中は、汗でびっしょりと

濡れていた。見えなくなるまで何度も何度も、

その背中に御礼を申し上げてお見送りした。

 

決して人前では涙を見せない「師の背中」を見てきた

私はぐっと涙をこらえたが、我慢出来ずスタッフに

「買い物がある」と出掛けたふりをして車の中で

大声で泣いた。

 

甘音屋にとって私は社長であり代表者である。

しかし「師」の前では、いつまでたっても未熟な

「泣き虫経営者」である。

 

こんな「泣き虫」を叱って頂きたい。

いつまでもお元気で頂きたい。そう心から願っている。

また「師」の背中に少しでも近づけるよう精進したい。

 

コロナウイルス自体は憎き敵である。

 

しかし、こんな時だからこそ一層深まる

「心の絆」に気が付く。

悪い事ばかりではない。

 

そう思って涙を拭いその日わざわざ届けて下さった

「師」から頂いた「笑顔」で社に戻った。