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和菓子店を開くまで(3)

さて和菓子の世界へ1歩踏み出したまでは良かったのですが、修業先も決まらないまま会社を退職した私は「宛てもないのに良くまあやるよ」と自分で自分にあきれていました。 しかし「心中に希望を持っていれば必ず物事は好転していく」という亡くなった祖父の家訓を信じ、1歩1歩和菓子の道を踏みしめ、歩き始めました。

修業先を探す事になった私は、とにかく自分が好きになれる和菓子を探そうと京都、大阪、神戸の和菓子店を片っ端から廻りました。もともと百貨店の仕事も「足でかせぐ」というスタイルだったので食べては歩き、食べては歩き、毎日就職活動に勤しみ数え切れないほどの店を廻りました。そして探し廻ること2ヶ月、ようやく「ここや!」という店が見つかりました。それは大阪箕面にあります「菓室創庵」という店です。その店は現在、大阪を中心に活躍しています「かむろ」という店です。私が入った頃はまだ「菓室創庵」という名前でしたが、イチゴ大福やどら焼きのクオリティの高さに驚き、この店で修行したい。そう思い菓室創庵の門を叩いたのでした。

当時、菓室創庵は百貨店進出を考えておられ、事業を大きく拡大して行きたいという時期だったようで人出が足りないという事もあり、人材の確保を検討していたようです。私は自分の持っている百貨店での経験をお店で活かしてもらい、私自身はは職人として和菓子を学ばせてほしい。そう願い出て、和菓子に対する熱意と今後の将来性を社長にお話をし、弟子入りを志願したのです。社長はとても懐の大きな方で私の熱意を汲み取って下さり、採用して下さったのです。

採用が決まり、初出勤の日は2月10日でした。朝5時半に起きて、家を出るのが6時半。家から店まで2時間半。家を6時半に出ても着くのは9時です。初日は新しい機械の導入であまり内容は覚えていませんが翌日からのスケジュールはハードなものでした。「悪いが今晩泊まってくれへんか?」と言われ徹夜で作業する事も多く、時に42連勤という事もありましたが「少しでも自分を必要としてくれている」そう思うと嬉しくて疲労感よりも感謝の気持ちが強く、和菓子に触れる喜びそして心地よさを感じ、充実した毎日を送っていました。(つづく)